9 425円のいのちと幸せ

namon

2011年01月09日 23:57

「12年前、私たちはドン底といっていい状態だった……」
おばあちゃんはしみじみと言いました。



「なにしろ、おじいちゃんには膨大な借金を残されて先立たれるし、頼みの娘はといえば、三人の小さい孫を残して、男と駆け落ちする始末。
朝から晩まで一日の休みもなくアルバイトをしたけど、利子も返せなくて、借金取りに毎日責め立てられてばかりいた。おぼえてるかい?」
「ああ、あの頃ね。毎日、いろんな人がおうちのドアを太鼓みたいにどんどん叩いていたっけ。おばあちゃん、自分は押入に隠れて、小さい私に誰もいませんって言いに行かしたよね」
「おや、そうだったかい?」
「おばあちゃん、逃げようとして借金取りに腕をつかまれていたときも、私に、刺せ、刺せって叫んでた」
「あら、ほんと? あれは、刺せじゃなくて、貸せ、貸せじゃなかったっけ?」
「5歳の私に貸せ、貸せって怒鳴ってどうするの」
「ええと、そのう……。グーグーグー」
「寝ないでよ。都合悪くなると急にボケるんだから。ずるいよ、まったく」
「まあ、あの頃は、ミニスカもはいていなくて、どこにでもいる普通のオバアだったからね。
とにかく、大みそかの夜だというのに、食べるものもなくて、あなたを筆頭に小さな孫を三人抱きかかえるようにして、波之上神宮にお参りにやってきたのさ」

当時、ミニスカばあちゃんではなかった普通のおばあちゃんは、幸せそうな参拝客を前に、自分がみじめで、情けなくて、三人の孫の手を引きながら、ぽろぽろ涙をこぼしながら歩いていました。
自分はともかく、母親に逃げられたこの孫達は、この先いったいどうなるのだろう?
こんなつらい人生なら、生きていて何の意味もない。
もういっそ神宮の裏の崖から身を投げて死んでしまおうか。
そう思うと、一歩も歩けなくなって、人混みの中に立ちすくんでしまいました。
すると、どこからか、一人の男の子が、人混みをかき分けるようにして走ってやってきたのです。
そして、

「はい」

と言って、何かをおばあちゃんに差し出しました。
見ると、それは、使い捨ての薄い木皿に入った10個のタコ焼きでした。
おばあちゃんが呆然としていると、男の子は孔子廟の石門の入り口のほうを指さし、走り去っていきました。
男の子が指さした石門のところには、一人の老人が立っていました。
白いヒゲをはやし、汚れたコートをはおった、見るからに浮浪者といった感じの老人でした。
老人は、おばあちゃんと目があうと、ニッコリ笑い、それから孔子廟の門の中にゆっくりと入って行きました。
そのとき、おばあちゃんは、その老人が孔子であり、そして自分の前世は彼の弟子の顔回の恋人であったことを、まるで巻き戻しのスライドショーを見るようにはっきり思い出したのです……。

「孔子さまがあのときと同じように、私たちに差し入れをくれた。
自分はここにいるよと、私を見つめる彼の目は言っていた。
そのときあたしは、人生は一回きりではなく、永遠に続くものであることを知ったのさ。
だから、どんなにつらくても、自分で人生を終わらしちゃいけない。
地面にはいつくばってでも、どうにか生きていれば、必ず誰かに会うことができる。
そのために、人は生きているんだから」
「会うために、生きている……」
「そう。それが人間の目的、人生の秘密というやつさ」
おばあちゃんは言います。
「要するに、たこ焼きのおかげで、私たちは死なずにすんだのね……」
私は複雑な思いで言いました。
「そうとも言えるわね」
「三人で500円のいのちってわけ?」
「あたしも入れて、四人さ」
「一人、125円。安っ!」
「計算するなって。生きていたおかげで、あたしはこうやって、なもちゃんにも会えて、一緒にアイスぜんざいを食べることもできた。これ以上の幸せはないわね」
「おばあちゃん、泣いてるの?」
「いや、ぜんざいが甘いから、ちょっとお塩かけているだけよ」
「たこ焼き125円。アイスぜんざい300円。合計425円の、いのちと幸せ。
これくらいだったら、いつでも買えるから、いいね!」
私が言うと、おばあちゃんは涙の塩をふりかけるのをやめて顔をあげ、
「そうそう。でも、何億円積まれたって誰にも売らない大切な幸せだよ」
そう言って、ニッコリ笑いました。

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