7 ミニスカばあちゃんの意外な友達

namon

2011年01月06日 15:08

バイトが休みになったので、久しぶりに家でゴロゴロしていると、おばあちゃんに、

「孔子廟、行かない?」

と誘われました。
孔子廟というのは、波之上神宮近くにある、中国の礼拝堂みたいなところです。
私たちが住む家から歩いて6分か7分の距離にあります。
むかし、中国から沖縄にやってきた久米三十六姓と呼ばれる留学生の子孫がたてたもので、孔子を中心に、顔子、曾子、子思子、孟子がまつられています。
孔子というのは、もちろんあの中国が誇る、世界四大聖人の一人。
おばあちゃんは、この孔子廟がなぜかとてもお気に入りで、バイトに行く前とか、あいまとか、とにかくちょっとした時間があると、孔子廟に出かけて手を合わせるのです。

「帰りに、『千日』でアイスおごるから」
千日は、久米にある、氷ぜんざいで有名な食堂です。今日はなぜか私と一緒に行きたげです。
「おばあちゃんだけ先に孔子廟行って、帰りに千日で待ち合わせるというのはどう?」
「ガチマヤー(食いしん坊)、さっさと来なさい」
おばあちゃんに急かされて、しぶしぶ出かけることになりました。

琉球石灰岩で作られた孔子廟の石門をくぐると、かなり大きめの芝生の広場があります。
青空を背景に、廟の赤い建物、緑の芝生が鮮やかです。

「正面が孔子をまつった大成殿。赤は孔子のイメージカラーね」
おばあちゃんは説明してくれます。
「左手にあるのが航海の神さま『媽祖(まそ)』をまつった天妃宮。
その並びが、琉球の最高守護神としてあがめられていた『関帝王(かんていおう)』をまつった天尊廟。
右手の建物が、沖縄の公立学校の始まりとされる明倫堂よ。
どう? よく知っているでしょう?」
「全部、ここに書いてあるじゃん!」
私は立て看板を指さして言いました。

おばあちゃんは、まず左側の天妃宮と天尊廟にお賽銭をあげて手を合わせ、次に、孔子廟に厳かな足取りで向かいます。そして、短い階段をのぼって正面に立つと、ミニスカの裾を行儀良くピッタリそろえてから、手を合わせて深々と拝みます。
階段の下から見ると、パンツが丸見えなのがオバカです。
しかも年寄りのくせにエロい黒。
孔子廟の渋い赤、ミニスカの鮮やかな赤、パンツの黒が妙にマッチして、なんだか現実離れした不思議な雰囲気が漂います。
隣にいた別の参拝客たちが、見るべきか見ざるべきか、目のやり場に困って、うろたえています。
私は得意の『他人のフリ』の術を使って、口笛を吹きながらその場を離れました。

「でも、どうして、そんなに孔子さまが好きなの?」
千日でアイスぜんざいを食べながら、おばあちゃんに聞いてみました。
「好きっていうか、感謝しているの。彼に親切にされたことがあるからね」
「でも、おばあちゃん、孔子さまって、紀元前551年生まれだって掲示板に書いてあったわよ。いまから2500年以上も前の人だから、会ったというのは年代的にちょっと無理があるんじゃないの」
私は呆れて言いました。
「でも、本当に会ったんだもの。しかも、前世と今世でね」
「あらまあ」
「いまではすっかり親しくなって、向こうは私をナビー、私は彼をコーチャンって呼んでるわ」
「孔子さまをコーチャン? アギジャビヨ~」
私は思わずおばあちゃんの決めゼリフを叫んでしまいました。

「前世ではね」
おばあちゃんは、秘密を語るように真剣な表情で言いました。
「私は、孔子の弟子の顔回という人の恋人だったのよ。
顔回は欲のない人で、孔子さまの教えをきちんと守って、質素に生活していたわ。
それはやさしい人だった。私はそのとき今よりも年寄りの89歳だったけど、とても大事にしてくれて……」
「89歳で彼女だった? ほんとね? で、顔回って人は、そのとき年いくつだったの?」
「29歳」
「……おばあちゃん、2500年前にも今と同じ、いや、今よりひどいことしてたんだね」
「お互い愛しあっていれば、年の差なんてどうだっていいことじゃない?」
「まさか、そのときも着物の裾切ってミニスカみたいにして着てたんじゃないよね」
「あら、どうして知ってるの?」
「……」

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